このシリーズを通じて、スターバックスのデータ戦略・CX設計・ロイヤルティプログラムの洗練さを解説してきた。
しかし最終回では、あえてスターバックスの「失敗」に正面から向き合う。
なぜなら「どう成功したか」より「なぜ失敗したか」の方が、多くの場合より深い学びを与えてくれるからだ。
スターバックスは2022〜2024年にかけて、データとテクノロジーに全力投資した。その結果として「体験を失った」。6四半期連続の業績悪化という形で、市場がそれを評価した。
これは「データ活用が間違いだった」という話ではない。「データだけで体験は作れない」という、より根本的な問いへの答えだ。
「測定できるもの」と「測定できないもの」
スターバックスがデータで精密に測定できたもの
- モバイルオーダーの比率
- 各時間帯の混雑状況
- ロイヤルメンバーの購買頻度
- 商品カテゴリ別の売上
- 店舗ごとのコスト効率
スターバックスがデータで測定できなかったもの
- バリスタが笑顔で迎えてくれたときの感情的な価値
- 好きな席でコーヒーを飲む30分の豊かさ
- 「今日もここに来られた」という帰属感
- 「名前を覚えてもらっている」という特別感
- 混んでいても「ここにいたい」と思わせる空間の力
測定できるものに最適化していった結果、測定できないものが失われた。
ピーター・ドラッカーは「測定できないものは管理できない」と言ったとされる。しかしこれは「測定できないものは重要ではない」という意味ではない。むしろ逆だ
「測定できないが重要なもの」こそ、最も慎重に扱う必要がある。
スターバックスが失ったのは「体験の感情的な品質」だった。これはNPSや再来店率では部分的にしか捉えられない。
データは「何が起きたか」を教えてくれるが、「なぜそれが起きたか」の深層、顧客の感情は、データの外にある。
「オペレーションの効率」と「体験の品質」のトレードオフ
スターバックスが直面したジレンマは、全てのサービス業が直面する普遍的な問いだ。
効率の追求 体験の品質────────────────────────────────────────モバイルオーダー普及 ←→ バリスタとの会話がなくなるピックアップ専用店 ←→ ゆっくり過ごす場所がなくなるメニューの複雑化 ←→ カスタマイズの楽しさが生まれる自動化・AI投資 ←→ 人間的な温かさが薄れるデータ最適化 ←→ 偶然の出会いがなくなる
この二項対立は「どちらが正しいか」という問いではない。「どのバランスが自社のブランドにとって正しいか」という問いだ。
スターバックスは「効率」に傾きすぎた。「Back to Starbucks」はその振り子を「体験」側に戻す試みだ。
通販企業でも同じジレンマがある。
「パーソナライゼーションで効率的に施策を打つ」ことと「顧客一人ひとりを本当に理解した温かいコミュニケーション」は、時として相反する。
大量のCRMメールを自動配信することは「効率的」だ。しかし「このメールは本当に私のために作られたのか」という感覚を顧客が持てるかどうかは別問題だ。
「人間的な体験」を設計に組み込む方法
スターバックスの反省から学ぶ「人間的な体験」の設計原則を整理する。
原則①:「摩擦」を全て取り除こうとしない
完全にスムーズな体験は、記憶に残らない。
スターバックスで名前を書かれたカップを待つ時間、バリスタが笑顔で「いつものですか?」と聞いてくれる瞬間。これは「効率的ではない」が「体験として記憶に残る」。
通販でも「少しの待ち時間」「手書き風のメッセージカード」「予想より早い届き方のサプライズ」これらの「心地よい摩擦」が体験を豊かにする。
原則②:「感情的な転換点」を設計する
スターバックスが最も重視するのが「感情的な転換点(Emotional Peaks)」の設計だ。
誕生日のフリードリンク。ゴールドメンバーへの昇格通知。新商品の先行体験招待。これらは購買体験の中の「特別な瞬間」だ。
体験全体の品質は「平均値」ではなく「ピークとエンド」で記憶される(ピーク・エンドの法則)。通販の「体験のピーク」はどこか。開封の瞬間?最初の使用?ロイヤル会員への昇格通知?これらを意図的に設計することが、記憶に残る体験を作る。
原則③:「データが見えないところ」も設計する
データは「行動した顧客」を見る。しかし「来なかった顧客」「買わなかった顧客」は見えにくい。
スターバックスがライトユーザーへの接点を失ったように、通販企業も「CDPに記録されていない潜在顧客」との接点設計が手薄になりがちだ。
データの外側:口コミ、紹介、SNSでの自然な投稿
これらが「データが見えないところ」での体験の拡散だ。この領域への投資は、ROIが見えにくいが長期的な顧客基盤の構築に不可欠だ。
CX設計の根本哲学
5回にわたって「スターバックスから学ぶCX設計」を語ってきた。
最後に、このシリーズ全体が指し示す根本的な問いを提示して締める。
「あなたの会社は、顧客に何を体験させたいのか。」
スターバックスの答えは「コーヒーを通じたサードプレイスの体験」だ。この答えが明確だから、データもAIもロイヤルティプログラムも「体験を実現するための道具」として機能する。
しかし答えが曖昧なとき「売上を増やしたい」「リピート率を上げたい」という指標だけが目標になっているときデータは「手段の目的化」を加速させる。
測定できる指標を最大化することと、顧客に良い体験を提供することは、必ずしも同じではない。スターバックスはそれを、6四半期の業績悪化という高い授業料を払って学んだ。
「データは体験を設計するための地図だ。しかし地図は目的地ではない。」
目的地は「顧客に何を体験させるか」という哲学の中にある。
その哲学を持ったとき、はじめてSQLもCDPもCJOも、本当の意味で「顧客体験の設計ツール」になる。
スターバックスが「Back to Starbucks」で取り戻そうとしているのは、コーヒーではない。その哲学だ。
出典:Starbucks Q1 2025決算資料、The Wise Marketer「Starbucks and the Future of Customer Loyalty」(2025年)、WPLoyalty「Starbucks Loyalty Program Case Study」(2025年)、GrowthHQ「Starbucks Loyalty 2.0」(2025年)